2014/03/31

「サブカルチャー」問題から考えるチベット研究(山本達也)

「山本君ってチベット人のサブカルチャー研究してるんでしょ」。これは、私がインドのダラムサラでフィールドワークしている際、幾度となく聞かされた言葉である。そんな時、私は苦笑いしながら「サブカルチャーじゃなくて音楽に関わる人の研究です」と言い返していたが、内心「どうしたもんかな」と思ったものである。もちろん、この質問をした人に対して私は特に怒っていない。

また、インドやネパールに住むチベット人に自分の研究について語ると、その反応として「音楽なんか研究してるの?意味ないよ。なんで仏教じゃないの?」と繰り返し聞かれたものである。もちろん、こう返答したチベット人たちに対して私は特に怒っていない(しつこい)。いずれにせよ、ひとつわかることは、日本人にとってもチベット人にとってもチベットの音楽や芸能を研究するということは何かズレていることをしているような印象を与える、ということだ。



チベットと聞けば多くの人がダライ・ラマやチベット仏教、そして政治的問題を思い浮かべるだろう。いわば、太古から伝わる仏教という知恵やチベット問題の背景となる歴史、政治的主張が興味関心の的となっている。実際、本屋に行けば(そしてウェブ上の書店を検索すれば)、上述のテーマに関連する書籍というのは極めて簡単に手に入る。そして、先にモンゴルで開催された国際チベット学会においても、これらのテーマに関連するパネルは本当に充実していたのと対照的に、音楽や芸能に直接関連するパネルは自分のものも含めて2つ、音楽そのものに関連する発表に至っては3つしかなかったことを思えば学問的状況もそれと符合している。

ここにはチベット研究を取りまく一つの状況が示されている。私はそれをチベット研究を取りまく「マジメな状況」と呼ぼうと思う。最初に断っておくが、私はそれを揶揄する気は毛頭ない。深遠なる仏教哲学に邁進する研究者、政治について熱く語る研究者の仕事に学ぶところは多々あるし、特にイデオロギー臭がプンプンする論争を掻い潜りながら冷静に歴史的資料を駆使して消臭を試みている研究者には敬意を抱いている。これらの研究は深い歴史を持ち、蓄積もかなりのものがある。

それに対し、チベットの音楽や芸能に関する研究は量的にも不足し、特に現在の問題に関心を払っている研究は数少ないのが現状であり、先述のホットな話題と音楽研究との間にある圧倒的質量の差異はいかんともしがたいところがある。よって、先述のホットな話題に関連する研究が一般書籍として人々の目に触れるようになるのは当たり前のことであり、チベットに興味をもつ人びとはそれを通してチベットを理解する、という回路を経ることになる。それらのチベット像をチベットに投げかけている人からすれば私のやっていることはマイナーな「サブカルチャー研究」と呼ばれることになるだろうし、「そりゃそうなるよ」と言ってしまいたくなる。

しかしながら、チベット研究、そのなかでも特にチベット難民の文化人類学的研究に携わってきたものとしては、この「マジメな状況」にどうしても違和感を覚えてしまう。理由は簡単、チベットを理解するためのその「マジメな状況」は私の知るチベット人の現実世界のいったいどこを占めるのか、私には理解できないからだ(決してチベット難民の生活を「不マジメ」と言っているわけではない。これは後述)。

もちろん、彼らの生きる日常の背後に横たわる長い歴史には政治や深遠なる仏教思想が横たわっているのだろうし、彼らはそれを不可避のものとして背負っているのかもしれないが、少なくとも、彼らの生きる世界をそれで理解できるか、と言われれば私は否と答える。もっと言ってしまえば、その「マジメな状況」はそのように見ている側が見たいチベット像をチベット人に対して投げかけているだけちゃうんか、ということである(たとえばチベット人側からの類似した主張としてWe’re no monksという映画もあるので興味があればぜひご覧ください)。

また、チベット難民社会の場合、この「マジメな状況」はさらに話をややこしくする。1950年代以降チベットからインドやネパール、ブータンをはじめとした近隣諸国や欧米等に亡命したチベット難民にとって、中国が入ってくる前の文化は「真のチベット文化」として位置づけられ、その保護が現在に至るまで主張されてきた。いわば、1950年代以前のチベット文化、とくにそれを下支えするチベット仏教を彼らのナショナル・アイデンティティの核として位置づけてきた歴史をもつのがチベット難民社会である。こうした状況は、先の「マジメな状況」と極めて相性がいい。というのも、チベット難民をチベット難民たらしめていると言われるものがまさに過去に依拠しているのであり、仏典研究や政治史といった過去を対象とする研究はチベット難民の希求するものと連動するからだ。いわば、政治と研究がある種win-winな関係にあるのがチベット難民を取りまく状況であるといえるだろう。

このような状況を勘案すれば、「マジメな状況」は悪いことではないように思える。事実、チベット難民の人々が守りたい文化の保存や政治的主張の補強に貢献するこれらの研究は極めて大事なものである。そのことを強調したうえで私があえて言いたいことは、このwin-winな過去指向的関係がチベット難民自身の創造性に時に歯止めをかけ、彼らの口から「なんで仏教の研究しないの?」と言わせてもいるのであり、また、こうした研究に依拠してチベット難民を見た人は、「全然独立運動をまじめにやってない」「現代的なものに毒されている」なんて位置づけをしてしまう、ということだ。

こうした見方は、実は冒頭に紹介した「サブカルチャー」という物の見方と直結する。そこで語られる「サブ」は仏教や政治、(伝統)文化という「ハイカルチャー」に対照づけられているからこそ可能になる語り口であり、それとの関係性において「些末なもの」となっている。要するに、チベット難民社会を対象にした際に吐かれる「サブカルチャー」という言葉は、その背後に極めて重い意味をもっている。

上述の語り口を支える「チベットが伝統としてもつ仏教的知識はすごい」「現在の政治的状況を理解するには過去の理解が不可欠である」という研究者の物言いはおっしゃる通りだし、それを読んでチベット人をまなざす人がいるのも仕方がないことだが、そんなことばっかり聞かされた日には、現在を生きるチベット人も自信を喪失するってなもんである。あるチベタン・ポップ歌手自身が私に自嘲気味に「歌なんか研究したって意味ないよ」と語ったシーンは、私の頭を繰り返しよぎっている。歌うのが好きで歌っていて、それなりにファンもいるのに、その自らをして「意味がない」と言わせるような状況にもし「マジメな状況」が遠因として加担しているのであれば、それは再考に値するのではないでしょうか。

ということで、ここで私が言いたいのは、簡単に言えば「もっと実際のチベット人のことについて知るべきだ」ということである。私の場合、具体的には「チベット難民が日常を生きる中で何をしているのか、何を欲しているのか」理解することで現在に生きるチベット人の一端を理解したいのである。そうしなければ、彼らと私たちが今後どのような関係性を築き、彼らの生きる現実世界を共に考えることができるか、手がかりすらつかめないからだ。そのためには、過去指向型研究や難民社会のエリート主導の過去指向的雰囲気に終始せず、現在を生きるチベット難民に目を向けなければならない。チベット難民を自分の都合のよいように過去の像に押し込めて「これがチベットです!今も昔も変わりません」や「チベット難民は豊かさを追求してしまった結果変わってしまった」なんて形で理解することで終わっては面白くもないし、チベット人にとっても百害あって一利なしである。

ご存じの方も多いと思うが、現在のチベット難民の多くは部屋で左手にマニ車、右手に数珠を廻して功徳を積むどころか、男性であればスマホで喋りながらバイクで街中を疾走したり、女性であれば美容院に行く話だとかどの服がかわいいなどの話で盛り上がりお洒落を意識していたりしている。そんな彼らの部屋に行けば、ダライ・ラマの写真と共にジェニファー・ロペスやサッカー選手のポスターが貼られている。彼らの織りなす日常は、私たちの生きる日常とずれながらも重なり合っている。

言ってみれば、私たちがそうしているように、彼らは彼らなりの形で自らにふさわしい近代性を模索しつつも向き合っている。チベット研究の「マジメな状況」にはこれらの現状が包含されることはなく、悪く転がればむしろ堕落と捉えられもするだろう。しかしながら、彼らの生きる現実はこのようなものであり、私が音楽を研究するのは、こうした若者たちが現代との邂逅の中で育む想像力を捉えたいからだ。過去指向型研究から見れば堕落しているように見える環境で育まれるこうした想像力こそが彼らのこれからの歴史を形作り、また新しい政治への可能性も開いていく。そこに私たちがどのように関わるのか考えるためには、この未来へ向かう想像力を少しでも理解する必要があるのである。

私のやっている音楽の話に加え、星泉さんや大川謙作さん、海老原志穂さんらが積極的にチベット文学やチベット映画のご紹介をされるなど、現代のチベット人がつむぎだす文化やそれを支える想像力に対してようやく関心が向かい始めている。過去指向の「マジメな状況」では見えなかったチベットの今を少しでも人々に見えるようにするためにも、現代的なものに向けられる研究は極めて重要であると考える。そして、今はまだまだ少ないこうした研究が興隆する日が来れば、その時は「サブカルチャー」という言葉のもつ意味が変わっているか、もしくはそのような言葉で彼らの生きる日常を切り取ることはなくなっているかもしれない。

(山本達也 京都大学客員研究員)

[第1回チベット学情報交換会(2013 高野山大学)におけるご発表を基に執筆していただきました。]